この時期に恋愛をしている場合じゃないんだけれど、なんとなーく、勘違いしたくなる出来事があり。どうなることやら・・・。友達、と線引きされてるなら、それに早く気づいたほうが楽なんだけど、そんなこと聞けやしない。なんて、なんか高校生みたいだな。有り得ない。

ちょっと今日は鬱?薬はしっかり飲まなくちゃね。

寝る前にお風呂に入ると、リラックスして眠ることが出来る。今日は数ヶ月ぶりに、朝のんびりしながら会社に行けた。三ヶ月経ってないけれど、のんびりした気分で行けたのは、数えるくらいじゃないかな。プレッシャーを感じながら会社に通っているので、朝はとてつもなく辛い。

今日も行き帰りのお供は「はらだしき村」。
興味深い項がいくつかあって、例えばバリ島では建物を建てる時に、「ヤシの木の高さより高く作ってはいけない」という決まりがあって、それは決して数値化されていない、とかね。ゼロか1かの世界で働いている私には、ものすっごい共感出来た。何メートル、とか決めてしまうと、実は際限なく上がって行ってしまう危険性もはらんでる、という。けど、いいね、そのファジーさ。とりあえず、ヤシの木より高くちゃダメ、っていうのが成立してるのが良い。

後は、「狂うこと」について書いてあったところがすごく興味深かった。というか、もう、暇な人はいっぺん読んでみると良いですよ、と思った。通勤時間に読むのが楽しいね。

原田宗典は、隣に住んでる物知りのおにいさん、という感じがする。全部が全部、うまくオチがついているわけでもないのが愛嬌。え、そこで終わるの?と突っ込みたくなる箇所が、多々。けれど、中には、ぶはっと吹き出してしまう項も入ってて、それが絶妙なんだよなぁ。

今日の仕事。あんまりうまく行かなかった、ような気がする。とりあえず、人の組んだPGをいじるのはイヤなので、設計書だけ作って差し戻しした。組みながら進めるのは大変というか、私はものすごくレベルの低いところでジタバタしているので、申し訳ないのが辛い。

集中すると時間はあっという間に過ぎてしまって、私みたいな奴はずっと定時上がりが良いのかも知れない。

今日は珍しく、鬱が落ち着いていた。悩んで悩んで、悩みすぎて、閾値を越えてしまったせいだと思う。何といっても、夜にお風呂に入って、間接照明をつけて、ボゥっとした光の中で、じーっと、時間を過ごしたからかなぁと思う。

今日は久しぶりに浜田真理子さんのCDを聴いている。癒される・・・。明日から通勤の時に聴きながら行こう。気持ち良過ぎて寝てしまうかもしれないけれど。

会社の人間関係は殺伐!としているので、自分で楽しむことを覚えないと、やっていけそうもない。まずは三ヶ月、という目標は、何とか達成出来そうだ。とても低いレベルにいるけれど、社会復帰の道標を刻みたい・・・。珍しく、今日は一回も死にたいと思わなかったなぁ。良い日だ。

ひとりでも、心温かく、誰かを傷つけることが無いように・・・。こんな日は、槇原くんの歌も、とても染みる。

「はらだしき村」を帰りの電車の中で読む。
東横線は座れるように、わざと快速を外して乗る。
ソウウツで苦しむ原田宗典氏は、それでも文章では快活で繊細な人間になっている。文字で物を作る才能というものは、たまらなくうらやましい。

今日はJavaでのプログラミングを自力で何とか理解出来た。
自分じゃとても思いつかないが。この先どうしたら良いんだろう。

最近、地味にノイローゼである。
気がつけば階段からふらりと落ちたくなる。
それでもぐっと思いとどまる。
今こうして文章を綴っている自分は、「元の私」だ。
会社にいる時の私は、明らかにノイローゼで、
頭がズキズキと痛み、それを引きずって家に戻るので、
どうしようもない。「ノイローゼの私」は処置におえない。
人に噛み付き、傷つき、ボロボロである。
五感がこれ以上の刺激は要らないと叫ぶのに、
情報の嵐が自分を襲う。

過去の私は砂山が風で崩れるような、脆い塊で、
無かったような錯覚すらする。
今が私の成長期で、生々しく人とぶつかり、
失敗しては落ち込む。
会社に入ってまでこんなに悩むとは。
世界が足元から崩れていくような不安を毎日、毎分、毎秒感じながら生きるのは容易いことではない。
だから、私はずっと薬の世話になるのだろう。

もう何年もWEBに日記を綴ってきたはずなのだが、今が一番そこから遠ざかっている。人に文章を見せることすら、今の私には苦痛になりつつある。見せる=恥さらし、とすら感じる。あくまで自分に限定して、だが。

それでも、中学生が自分のリストカットの画像を「今日の手首」なんて言ってのっけているのを見ると、寒気がする。この子は大丈夫なのか、と。鮮血が手首からぷっくりと浮いているのをWEBに流して、この子は自分の寂しさを埋めているのだろうか。ネットのデメリットを、心が強くない子はもろに受けてしまう気がする。中学生、という年齢でネットにPC変換で自分の心情を綴る癖がついてしまうことを、私は一概に良いとは思えない。「自分だけではない」ということが、後ろ向きに作用している気がするから。

明日もまた泣くんだろうか。
ナレッジ・マネジメントのように、ひたすら他人の技術を盗む毎日・・・。

たまには誰かに甘えたくもなる。
そりゃあ、帰ってきて、今日もお疲れさま、と言い合える誰かがいたら、面倒くさいけれど、とても愛おしいと思うだろう。間違いなく思うだろう。前の恋人とビールを酌み交わしていた日々が、痛みとともに思い出されて、懐かしくもある。

「はらだしき村」の、「今を生きる」の項を思い出して、今日一日を生きることに必死になろう、と、決めて、寝る・・・。

まるで余裕がない。
人の言葉に噛み付き、人の言葉に傷つき、だったら最初から話さなければ良いと、どんどん遠ざかる。

死にたいと思ったら、寝てしまえば良いのかな。

壁を殴るのがオチなのかなぁ。

すっかりと「心」を「亡くして」しまっている。

色んなことを見失い、駄目だなぁ。

そういえば、中島らもまで死んでしまったのか、なんてことを思い出す。人の命とはかくも儚いものなのか。

久々に男の子にときめいたかと思えば、会社の下の子で、私より仕事できるし。部内で死んでるあたしじゃ駄目だわ。早く転職したいし。それでも、現在のところ、一応、働いてはいるので、ボチボチ会社を探そうと思う。

いろんなことが面倒くさい。

地元に帰っちゃうか?いっそのこと・・・。

最近、本当に忙しすぎて、本も読めてない、映画も観れてない、ニュースも見れてない。これじゃ色んなことを見逃してしまう。それ以前に生きるか死ぬかだったから、な・・・現在進行形だし。ダメダネェ。

ヤダヤダヤダヤダ。

こう言いながらも、UMLの勉強をしようとか考えてる、ダメダメPGですよ・・・。

思えばあたしは まだ若い
燃えるような 恋もできる
どこか知らない街で

       「失恋ブルース」

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浜田真理子さんが歌っているこの歌を、
頭の中で反芻する。

自分はきっとそうはいかない。けれど、たまに夢だって見たくなる。
私をきつく大切に抱きしめてくれる、私が大好きになれる人は現れないのかなぁ。探しに行く元気はない。
結局離れて行かれるのが怖いから、私は人を好きになることを忘れた。仕事を始めてから、より一層ひどくなった。一時期はそこに縋りたいと思ったこともあったが、今は皆無だ。過去の恋人を軽蔑し、悲しみ、そんなことばかりだ。

頭がガンガンする。疲労が度を過ぎてるからだ。鬱も一層ひどくなった。障害等級三級が付くとか付かないとか。そこまで病んでしまっているらしい。頑張れないなぁ・・・。元の会社に戻って二ヶ月、それでも働き続けているけれど、意味を見失いそうになる。いや、見失ってるのかな・・・。

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日本語を正しく使わない人が嫌いだ。きちんと使う人が好き。言葉には力があって、だからこそ大切にしたい。言葉遊びは私もするけれど、使う言葉が澄んでない人には、魅力を感じない。

壁を殴った手が痛い・・・。